FUJISATO LIVING COLUMN

  • ヒトビト
  • 2017/09/19

豊作さん63歳、田んぼやって、山へ川へと今日も軽トラックで駆けまわっています。

町の自然を上手に楽しみながら暮らす毎日。家族も知らない、豊作さんの藤里ストーリーをご紹介。

 

手放した理由

 昔は寺沢橋の上の方でりんご畑やってあったんだ。俺の前にじいさんがやって、じいさんは兄弟多かったために、なんだり買って食べさせるのは大変だってことで始めたみたい。売るには売ったども、かなり良いもの作らないと間に合わないんだ。経費かかるし、収穫時期に台風来たり、大変だったべな。ばくちみたいなもんだな。

 畑は3か所に分かれてたども、全部で1町3反(約3300坪)歩くらい。俺も20年くらいやったども、毎年クマ来るんて、あとやめたんだ。晩に来るから、眠いの我慢して追い払うんだ。こっちに出たと思えば別な場所に出て、真ん中に出たと思えば端に出て。花火で追い払った。爆音器は一週間で効かなくなるし、おまけに夜は鳴らせない。枝さラジオかければ、その下でペタッと座ってりんご食った跡あったり。「このクマ、ラジオ聞きながらりんご食べてたの? ひでークマだな」って。

 何が一番困るかってすれば、いい枝だのみんな折られてしまうこと。そこから病気にもなるし、木が変形して実がならなくなってしまうったな。とにかくひでかったった。

 

きっかけはりんご畑

 りんご畑のことがきっかけで鉄砲の免許取ったんだ。危ないから家族からは反対されたけれど、どうしてもやりたくて免許取りに行った。最初は所持許可免許。それ合格すれば狩猟免許。次に実射訓練。それに合格して初めて鉄砲買える書類もらえるんだ。何回も警察さ行かなきゃならないんだよ。

 それから猟銃持って10年経って、ライフルの免許取りに行った。当時、秋田にはなかったために県外行って。免許取るには取ったども、、いざやってみると全然当たらねんだよ。難しいった。

 

 

猟場に立つということ

 鉄砲の師匠はいないけれど、仲間内で教えあってやってきたんだ。ヤマドリだのと違って、単独でクマ獲るなんてほとんど無理だ。

俺が獲ったのも仲間と2人のとき。散々山歩いて、もう帰るころ。ガサガサって音したんてサッとささやぶさ隠れたんだ。どこにいるかよーく見て、そっと弾込めて。そして撃ったら、ボンッと黒いの、跳ねたんだ。逃げたばって、一発当たってるんて走れないんだよ。それから、沢の木の株の下さ隠れたんだ。最初はこっちのことジーっとにらめてあったども、もう駄目だと思えばあとこっちの顔なんて見ない。山の生き物ってそういうもんだ。結局、100kg超えるクマで、その日は全部山から運んでこられなかった。

 そして報告ということで、仲間内に肉配るんだ。もちろん仲間内からもらうこともあるし、それがほんのちょこっとの量だとしても、いやー申し訳ないな、ってなるんだ。どれだけ苦労してるかって、そのありがたみ分かるものな。

 

粕毛川と藤琴川

 子どものころはヤスでカジカ獲ったり、ちょこっと奥さ行ってイワナ捕まえたり。素波里ダムできる前の粕毛川は、とにかくきれいであったよ。水が冷たくて、夏でも泳がれないくらい。それに比べて藤琴川はまるで温泉だもの。ぬるいんだ。

 藤琴川と粕毛川では、魚にも違い出てくるったな。同じマスでも藤琴川へ泳いでいけば、背中が茶色っぽい色。粕毛川へ泳いでけば青光りしてたんだ。きっと水の色さ合わせて体の色、変わるったべな。アユでもそう。そのほかの魚もみな同じだもの。そして、粕毛川のアユは「尺アユ」って有名だったんだよ。長さもあって、体の幅も太い。昔はそういうのが結構いたんだ。

 そして、今は6人でヤナ(ヤナ漁)をかけてるった。毎年8月22日か23日あたり。10年以上になるかな。アユは晩によく落ちるんて、朝に拾いに行くんだ。いつだったか、ボタボタとすごい量落ちたっけな。早朝からやってたんて、体痛くなって会社さ出勤できなくなってしまったもの。

 今はが川鵜が増えてどうもならね。あれも生きていくために必死だばって、それにしても増えた。昔はいなかったけれどな。

 

一生ここに住み続ける

 俺はこの藤琴の町好きなんだ。死ぬまでここで暮らしたいと思ってる。あんまりごちゃごちゃしたとこ嫌いでな。ここは静かでいいよ。夜もだーれも人歩いてない。まるでお化け屋敷だものな。昔は酔って肩組んでワーッと騒いでるのいたんだ。そういうのもいなくなったんて、静かだなぁ。

 肉屋さ行って、「俺も肉食えなくなったんて、山さ獲りに行ってくるかなぁ」なんて冗談言えば、「山さ獲りに行くくらいならうちで買っていけ」って言い合ったりな。あともちろん、山菜採るのも大好き。山の春の香り楽しんでな。それは肉でも魚でも同じだ。山の自然のものは少しクセがあって、それがまたいいんだよ。

 今はまだ働けるんて仕事して、自分のとこの田んぼやって、山行ったり川さ行ったり。町から頼まれれば、サルの有害駆除さも行かねばねし。結構忙しいったな。この町は山もあるし川もあるために、自分の趣味というか生活にぴったりなんだ。昔の方がよかったこともあるども、それでも出ていくつもりもない。一生ここに住み続けたいと思ってるよ。

 

プロフィール

いしだ・ほうさく

昭和28年(1953年)2月27日生まれ。祖父の代からの果樹園を引き継ぎ、現在は林業関係の仕事に従事。35歳のときに狩猟免許取得、藤里猟友会に所属。

 

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