FUJISATO LIVING COLUMN

  • 暮らしのタネ
  • 2018/04/19

雑誌の営業として日本全国をまわり、数々の地方取材も行ってきたライター小野。縁あって足を運ぶことになった藤里町で出会うものごとを通して、藤里町の魅力や地方で暮らすことについて考えます。
 

藤琴豊作踊りの歴史を知る

 天気も申し分なしの9月8日の朝。町の中心にある開発センター前の広場での奉納が始まるのは11時半。それに合わせて、宿泊していた町で一番大きな宿泊施設「ホテルゆとりあ藤里」から車を走らせました。

 ちなみに、宿は通常より混み合っているようで、予約が取りづらかったので、来年以降来られる方がいたら要注意です。毎年お祭りの日は動きませんから、早めの予約をお勧めします。

 

 さて、このお祭りについて少し知識も仕入れたいところ。資料を読むと、藤琴豊作踊りは、今から約400年前から続いているそうです。初代秋田藩主が水戸から秋田へ国替えするとき、道中の退屈をしのぐために家臣たちが行った道中芸が、発祥だと伝えられています。そのため、踊り全体が大名行列を模した役割で成り立っていると聞いて、昨日から不思議に思っていた衣装の謎が解けました。

 

 豊作踊りをする「上若郷土芸能保存会」と「志茂若郷土芸術会」の二つの会は、役場を基準に上と下(志茂)の地区の主に男衆で構成されています。

 上若は獅子舞と奴踊りを(旧)北秋田郡松木村から、駒踊りを同郡米内沢町から、志茂若は同郡八幡平村から、150年ほど前に習ったものを、代々伝えながら守っています。

 そのため、それぞれの会の踊りはちょっと違っていて、その違いを楽しむのがよいかもしれません(私は圧倒されるだけで、細かな違いには気づけず……)。

 

(藤里町 広報提供)9月8日 藤里町総合開発センター前 駒踊り 上若郷土芸能保存会

 

 もともとは他の地域から習ったものといいつつ、二番煎じと侮るなかれ。「こんなに鮮やかなのはなかなかないのよ〜」と地域の人が自慢するように、獅子も騎馬隊も、浴衣姿でさえも色鮮やかなたすき掛けが、目をひきます。

 

かわいい騎馬にキュン、勇壮な騎馬にドキドキ

 前編で触れた獅子舞に続き、私が驚いたのは騎馬隊の衣装でした。騎馬隊は小さい子では3歳くらいから参加できるそうで、子どもの衣装は手づくりだそう。現代的な刺繍が施されたものもあるのは、そんな理由だったのですね。大人の衣装と同じように、上半身は武装し、下半身は馬を模した格好。一生懸命舞う姿が健気でかわいいのです。

 

(藤里町 広報提供)9月8日 藤里町総合開発センター前 駒踊り 上若郷土芸能保存会

 

 休憩時間は、周りの大人がすかさず飲み物を差し出したり休ませたりのケア。その連携も、心温まる姿でした。小さい順に並んだ騎馬隊は、大きくなるにつれてしっかりした様子になっていて、足取りもしっかりしています。

 大人の騎馬隊は、かわいらしい子どもの騎馬とは対象的。いかにも戦う気迫に満ちていて、激しく衣装についた鳴り物や肩当が音を立てます。よく見ると、肩当は、跳ねるたびに頬を打ちつけているではないですか…!「なんだか、みなさんほっぺたが真っ赤なんですけど…」と、近くにいた人に聞いてみると、「そうなのよ。みんな顔から血を流しながら踊るんだから」とのこと。見るからに痛そうなのですが、当の本人たちは、激しさを緩めることなく踊っています。

 

 私は最後まで見ることは叶わなかったのですが、夜のクライマックスにはふらふらになりながらも踊る様子が、それはそれは迫力満点なのだとか。

 

 浅間神社祭典はどこをとっても、見所がたくさんのお祭りで、もっともっと多くの人に知ってもらいたいと思いました。小さなお祭りだから、混みすぎて身動きが取れないなんてこともありませんよ。

 まずは来年、東北に住む母や私の家族を連れて再訪しようと、早速2018年のスケジュール表の9月7日と8日の欄に、「藤琴祭りに行く」と書き込みました。
  
 

文=小野民

 

小野 民(おの たみ)
編集者、ライター。大学卒業後、出版社にて農山村を行脚する営業ののち、編集業務に携わる。2012年よりフリーランスになり、主に離島・地方・食・農業などの分野で、雑誌や書籍の編集・執筆を行う。現在、夫、子、猫3匹と山梨県在住。

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