『最もチケットのとれない講談師』『100年に一度の講談師』と言われる神田松之丞さん。そんな松之丞さんが、藤里町に来ていただけることに。さらに、せっかくお越しいただけるならと、無謀にもインタビューのお願いをしたところ、なんとOKをいただきました。本記事は松之丞さんの公演当日の藤里町の様子と松之丞さんのインタビュー内容について、前後半でお届けいたします。
編集部
大変恐縮ですが、藤里町では、松之丞さんのことを知らない人がほとんどでした。
そういった環境で高座に上がるというのは、どのようなお気持ちでしょうか?
松之丞
ひたすらやりやすい。というのが本音です。知らない人の方がやりやすいです。はじめて聞く方に、講釈の堅いというイメージも活かしつつ、聞きやすい話をセレクトして3席やらせていただきました。聞いた人が娯楽の一つとして講談っておもしろいんだねと、お土産を持って帰ってもらえたら僕の役割は果たしたと思っています。
それと、最後、サインを書きながら何の話が一番良かったかリサーチを含めて聞いていたんですが、「最後の話がよかった」と言ってくれた人が多かったです。ただ、いきなり義士の話をやってもお客さんは付いて来られないので、まずお相撲の話、その後で和歌俳諧もので後半が面白くなってくるような、講釈っぽいけれど聞きやすいものという風に、ネタ選びは結構考えましたね。
編集部
最後のネタ「徳利の別れ」では会場中がシーンとして、松之丞さんの話に引き込まれました。お年寄りが多い藤里の会場で、あそこまで全体がシーンとなることはこれまでに無かったように思います。
松之丞
ありがとうございます。それは集中していただいたということで純粋にうれしいですね。
編集部
去年は雷電で、今回は谷風の情け相撲でした。谷風は若者ウケする演目と聞いたことがあるのですが、その点は何かお考えがあったのでしょうか。
松之丞
そうですね。基本的にはそうなんですが、正直どっちも使えるんですよ。何をやろうか考えたとき、やっぱりお年寄りには相撲の話が入りやすいかなと思って。あと、若い人の姿も見えたのでいいかなと。この二つは、リバーシブルという感じで、どっちも使えるなんですけど、はじめて聞く人に、講談って堅くないのねって思ってもらえるように考えました。
編集部
お客さんに合わせて演出をチューニングするというお話を伺ったことがありますが、今回意識したことはありましたか?
松之丞
いつもよりゆっくり話してました。実は、マイクの音が後ろの席の人たちにちゃんと聞こえているかは意識しているんですが、途中、少し小さな声でやっていたときに、一番後ろの席の年配の方2人が話しているのが見えたんですね。「聞こえる?」とか話しているのかと思ったので、声を大きくしたんです。そしたらぴたっと話し声が無くなったので、ああ、やっぱり、と思いましたね。本当は、ずっと大きな声でやっていると疲れるんですけど、大きな声でやることにしました。年配の方が多い会場ではそういったことも意識してますね。
編集部
今回最もチケットの取れないと言われる松之丞さんの高座がチケットレス、無料でした。このことについてどう思いますか?
松之丞
特に無いです。ただ、無料の場合は講談の知識が少ない方が多かったり、物販もあまり売れなかったりするんです。けど、私の場合は新しいお客さん、講談を聞いたことの無い人の前で演りたいという思いが強いので。今回で言えば結果的に物販も売れましたし、はじめて聞いてくれた方も、それなりに喜んで帰ってくれたようなので、その点は、時間も含めて狙いどおりだったというか、良かったと思っています。
ただ、やってみて、谷風や鼓ヶ滝もいいんだけれど、もっとウケるネタ、こっちのネタやったらもっとウケただろうな。というのはありました。鼓が滝は意外と難しいんです。ゆっくりわかりやすく演ったんですけどね。でもまあ、結果的にそれで良かったと思います。今後、自分のネタを増やしていくための課題もふわっと出てきましたし、色んな発見がありました。そういった意味でも、無料で、
編集部
最後に、真打ちになってもぜひ藤里町にお越しいただきたいと思っています。
松之丞
それはスケジュールの問題もあるので約束はできません。できませんが、良いお客さまで、うれしい講演だったと思います。また機会があれば是非。
編集部
本当にありがとうございました!
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時間が無いなか、私のつたない質問にも真剣に回答していただいた松之丞さん。車へ乗り込む前にも、講談を聞いた町民から自然と拍手が起こりました。
「温かい町ですね」とのコメントを残して車に乗り込み、次の高座へ向かった松之丞さん。また来年もよろしくお願いいたします!
付録 今回の演目あらすじ一覧
※1『谷風の情け相撲』あらすじ
寛政年間。第四代横綱の谷風は「相撲の神様」とまで言われた名力士。しかし、その谷風がたった一度だけ八百長相撲をしたことがあるという。その頃、佐野山権兵衛という十両の力士がいたが、この佐野山が大変な貧乏。父親を看病するために稽古も出来ず、今では十両のドン尻で、これ以上負けると給金も貰えなくなり、父親の治療費も払えなくなってしまう。これを聞きつけた谷風は、対戦で佐野山に勝ちを譲ることにする。
その場所も中日まで谷風は全勝、佐野山は全敗。佐野山のひいきは佐野山が廻しをつかめば20両、四つ相撲で30両、もろ差しで50両、万が一勝てば100両の褒美をあたえるという。がぜんやる気を出す佐野山だったが、栄養失調で力も出ない。谷風が勝つと信じている観衆たちだが、対戦が始まると2人は四つに、そして佐野山はもろ差しになる。実は、谷風が佐野山を支えているのだ。なんとかしてうまく負けたい谷風は、廻しをつかんで佐野山を土俵の外に出そうとするが、それより一瞬早く谷風の足が土俵を割り出す。勇み足で佐野山の勝利となる。という話。
※2『西行鼓ヶ滝』あらすじ
摂津の鼓ヶ滝に来た西行。「伝え聞く鼓ヶ滝に来て見れば沢辺に咲きしたんぽぽの花」と歌を詠んで、古今の名作と悦に入っているうちにあたりが暗くなってしまう。あわてて近くの民家に宿を借りるのだが、そこに住んでいた翁、婆、孫娘の3人に、自作の歌を歌ってみせろと言われてしまう。
宿を借りている手前、しぶしぶ歌う西行だが、最初に翁から手直しされてしまう。続いて婆、幼い孫娘にまで手直しされてしまう。素人の口出しとはいえ、元の歌より良くなっているのは認めざるを得ず、西行は自分の修行の足りなさを実感する。ふと気づくと、あたりには民家も何もない。西行は、もしかしたら3人は歌仙だったのかと思い、自らの慢心を恥じ、再出発するのだった。
※3『赤穂義士銘々伝・赤垣源蔵 徳利の別れ』あらすじ
元禄15年12月14日、赤穂義士の討ち入り前。義士のひとり赤(あか)垣(かき)源蔵(げんぞう)重賢(よしかた)は、疎遠だった兄の塩(しお)山(やま)伊(い)左(ざ)衛(え)門(もん)にさりげなく別れを告げに訪れる。しかし、伊左衛門は所要のため留守であった。源蔵は女中の竹にいつも兄が着ている羽織を持ってきてもらう。源蔵は羽織を相手に、まるで兄を相手にしているように、父親や母親の思い出話を語る。不思議がる竹に、源蔵は西国のとある大名にお召し抱えになり、明朝江戸を出立すると話し、源蔵は去る。
その日の夜半、兄の伊左衛門に、留守中、源蔵が訪ねて来て、竹が相手にしたことを伝える。伊左衛門は、源蔵が元の君主である浅野様のことはどう思っているのかと訝かしがる。その夜、伊左衛門はどうにも寝付けない。ウトウトとした夜明け、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをし、見事吉良の首を取ったことを知らされる。浪士の中に源蔵がいると確信した伊左衛門。中間(ちゅうげん)の者に浪士がいる仙台屋敷へと探しに行かせる。中間が仙台屋敷へ着くと、そこに源蔵の姿はあった。源蔵は中間に対して、皆には「恥ずかしからぬ働きをした」と伝えるように。義姉には癪によく効くという薬、さらに5両の金と吉良を見つけた時に吹いた呼子の笛を渡す。最後に、「昨日お会いできなかったが残念だったと兄上に伝えてくれ」こう言い残して、源蔵は赤穂浪士の列に戻っていく。
戻った中間は、源蔵の言葉を伊左衛門へ伝える。話を聞いた伊左衛門は、中間に呼び子の笛を吹かせ、弟の使った徳利で一人酒を飲む。