FUJISATO LIVING COLUMN

  • ヒトビト
  • 2019/06/01


終戦の年、特年兵として入隊

淡路忠義(ただよし)、名前からして「忠義(ちゅうぎ)」だもんな。9月来れば、満86歳になる。昭和20年、終戦の年だったね。1月15日に、藤澤海軍航空隊さ、特年兵として入隊したずゃ。特年兵は、藤琴の学校からは1人。秋田県から3人。全国からで130人くらい。運動も良くねばなんねぇし、頭も良くねばならねぇし。動作が機敏でねば駄目だった。そういう時代の特年兵で私行ったずゃ。神奈川県の藤澤海軍航空隊。16歳の時だものな。昔は国民高等学校(今の中学校)2年で卒業であったもの。3月で卒業だべ。それを1月で入隊したばって、毎日補習で、卒業証書もらって入隊したった。
うちの親は反対さねかったよ。俺は海軍志願してあったために。あの時代の仕事ってば、軍人志願、満州開拓義勇軍、あと軍需工場の仕事とな。子どもたち昔、馬を誘導したず。さしぇば、能代の東雲飛行場から、練習機飛んで来るったもの。ちょうどここら辺で旋回して訓練してあった。それ見て「俺もああいうやつやりてぇなぁ」と、子どもの時から頭にあったずぇ。

 

厳しかった新兵教育

入隊して3ヶ月間は新兵教育。電波探知機って、敵がどこ向かって、時速何キロで来てるかって探知する機械。特年兵って、その技術を習得して卒業する兵隊だったの。訓練受けてる間、毎日「極秘」って書かれた国の極秘の本が渡るず。それで3日後には試験。それさ合格せねば、別のとこさ飛ばされていく。
軍隊ってすごかったよ。朝は5時半起床、晩げは9時消灯。毎日半殺しだ。ちょっと負ければは、すぐ精神バッター。精神バッターって、バットで叩いて鍛えるの。とにかくビリになればダメ。人を押しのけても、先行かねばならねぇ。そういう風に、人間を変えていくった。天皇陛下のためだばいつでも喜んで終われますって。そういう精神を植え付ける。
晩に寝るとき、起きたらどうしたら早く賄うかって頭さ入れて、人より早く終わって、終われば整列して、「何番から何番、今日は兵舎回れ」って。しぇば、まま食われねった。寝ても起きても、人に負けられねった。
グラマンって、アメリカの当時優秀な飛行機に何回も機銃掃射やりあった。艦載機って、おっかねもんであった。海上5メーターの高さですれすれに飛んでくるために、探知機に何も映らねったものな。藤澤も何回も攻撃された。バーっと音がして初めて来たって分かるんだ。そんでバラバラバラバラって機銃掃射。訓練中だばそういうこと何回もあって、死ぬ思いした。

 

ホッともさねかった終戦

7月中に全部習得して、これからいつどこさ配属なるかってところで、8月に終戦だもんな。終戦は、藤澤海軍航空隊で聞いた。今日は大事な放送あるからって、制服に着替えて、飛行場の大広間で天皇陛下の放送聞いた。終戦って聞いたとき、なんもホッとさねぇな。人間がもう、そういう風に体から頭から鍛えられてしまって。死ぬったってどうでもいいったし。あの時な、そのまま飛んで行ったやつもあった。上官が行けってば、「はい」って死なねばね時代だったもの。鉢巻きして飛んで行って、どこさ行ったかわからね。
戦争終わったんて、今度は残務整理って、軍隊なくなるためにいろいろ仕事あるったもんな。11月までかかって、それで12月にうちさ帰ってきた。1月から8月の間にそういう経験だ。16歳なんて年齢的には子どもだって、上官の言うこと、先生の言うことをするってだけだった。でも、3ヶ月間の新兵教育で受けたものは、金で買われねぇもんであった。

大工一筋50年

昭和23年に大工見習いやって、26年から大工やって、29年に25歳で結婚した。45年に工務店始めた。東日本の地震あった今から5年前、胃のガンで引っかかって手術して、それで仕事を辞めたずゃ。それまで50年間、大工一筋でやってきたった。淡路工務店。弟子は5人、職人3人、私と合わせて9人の従業員で、土曜も日曜も忙しくて休まれねったよ。良い時期に建築業やって、それで50年の大工人生終わったった。
大工見習い、普通は5年かかるところを、3年で弟子上がりしたった。海軍生活で鍛えられたために、人よりやってやろうって。海軍さ入隊した時の3ヶ月間の新兵教育が、人生をみんな変えてしまったずゃ。あの頃を思い出せば、なんたことでも耐えていけたし。それで、儲けてやりましょうとか、私そういうやつは絶対嫌いだったは。とにかく、そこの家の予算の範囲内で仕事やってた。人のためにもしたし、自分でも生活できたし。弟子からピンハネしたこともねぇ。普通は職人頼めば、工務店で天引きしたもんだ。私はそうやったことはねぇ。人間一筋で、人生一筋で生活してきた。人間てさ、人助ければ自分もいいことある。やっぱりそういう風でいかねぇと、人間の輪ってやつはできねぇものな。人助ければ、「ありがとう」って気持ちもらった方が、金もらうより忘れられねぇ。(聞き手・藤原菜奈)

プロフィール
あわじ・ただよし
大沢小学校、国民高等学校(藤琴)に通う。昭和20(1945)年、藤沢海軍航空隊に入隊。終戦後大沢に戻り、2011年までの50年間、淡路工務店を経営。

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