藤里町で子育てをしながらネイルサロンを営む舘岡夏美(たておかなつみ)さん。「自分たちが育った藤里の自然の中で子育てしたい。」そんな地元愛あふれる夏美さんに、Uターンしてネイルサロンを開業するまでの道のりや、藤里での子育てについてお話を伺いました。
サロンで接客中の舘岡夏美さん。
(前編)
地元藤里での思い出
生まれも育ちも藤里です。高校卒業してから一度県外に出たけど、ほとんど藤里ですね。家族は、旦那と子ども二人です。旦那も藤里出身です。学年は1つ違いだけど、幼稚園、小学校、中学校とずっと一緒です。私の両親も藤里にいます。
小さい時はずっと外で遊んでました。よく缶蹴りしてました(笑)。友達の家に行って遊んでた記憶もあるし、小学校低学年の時は、3時に学校から帰って5時まで遊ぶみたいな。友達の家を転々として、図書館行って。ずっと友達と遊んでた記憶しかないですね。缶蹴りは開発センターのまわりとかでしてた気がします。体育館の裏とか砂場になってたんですよ。グラウンドでも遊んでたなぁ。今の子どもたちは缶蹴りって知らないんじゃないかなと思う。
当時は、友達の家で自由に遊んでました。親が家にいたし、両親が働いててもおじいちゃんおばあちゃんがいるっていうおうちがいっぱいあって。地域に子どもがいっぱいいて、歩いて行き来できる距離だったんですよ。帰るとテーブルに100円が置いてあって駄菓子屋さんに行ってました。この100円でどれくらい買える?って考えて(笑)。今、駄菓子屋さんはないですね。いとくや浅利酒店にちょこっと駄菓子おいてるけど、100円じゃ色々買えなくなってきてますよね。冬もスキ―ウェア着て遊んでましたね。ただ、日が暮れるのが早かったので、寒いし、早めに帰ってきて、基本家で遊んでたと思います。
楽しかった思い出を子どもたちにも
小っちゃい頃の家族の思い出は、遠いところじゃなくても山とか川とか、本当に色んなところに連れて行ってもらいました。外で遊んだ記憶、自然といっぱい遊んだ記憶がすごいあって。それを子どもたちにもさせたいと思って、藤里に帰ってきたっていうのもあります。自分たちが育った環境で、自分たちが楽しかった記憶を子どもたちにもさせてあげたいと思って。
幼い頃の夏美さんと弟さん。兄弟そろって外遊びが大好きだったそう。(写真=ご本人提供)
パパ(旦那)も藤里で子育てしたかったので、意見の相違なく藤里に戻ってきました。結婚して子どものことを考えるようになってから、藤里に戻りたいなってずっと話していました。子育てするなら藤里がいいなと。私の方が強く、藤里での子育てを希望したかもしれません。
でも、今は全然そう出来てない部分もあって。川とかには、私一人じゃ大変で連れていけなくて行ってないです。自分が子どもの時はサンダル履いて、どじょうとかカエルとか捕まえて遊んでました。けど、いざ自分の子どもになると「あぶないよ!入っちゃダメだよ」と言ってしまう。当時はオタマジャクシすっごい捕ってました。今の子たちはオタマジャクシから足生えてくるのとか見たことないんじゃないかな。今は気軽さがなくなってきてるなと思います。
小さい頃から慣れ親しんだ藤琴川。釣り好きのお父さんがよく連れて行ってくれたそう。(写真=船橋陽馬)
いろいろな経験を経て藤里へ
高校卒業後は千葉に就職しました。ネイルは全く関係ない仕事です。ホテルで働きたかったのですが、配属されたのがスーパーでした。1日中レジ係で、テレビで紹介されたこともあり、忙しすぎるスーパーでした。始発に乗って、帰り寮に着くのが8時か9時。片道2時間だったんですよ。途中で過酷すぎて、体壊しちゃって。寝る時間が本当に少なくて、休みは月5日か6日。高校卒業してこんなに過酷だと思わなくて、毎日泣いていた記憶があります。がんばろうと思ったけどだめで、4ヵ月くらいで辞めて帰りました。4ヵ月だけど、本当に長かったです。
その後、実家に帰ってきて、能代にあったアパレル関係のお店で働きました。最初は、藤里から能代に通っていました。4~5年くらい能代で働いて、その間に結婚して能代に引っ越しました。しばらくして、能代のお店が閉店して秋田市に転勤になって、能代から秋田市に通ったんです。朝夕の通勤が過酷で、1年足らずで辞めて藤里に帰ってきました。23~24歳で子どもを産みたいのもあったので。このタイミングで子どもも生まれて、あと子育てに専念したって感じです。
やっぱりネイルがしたい
能代のお店で働いてるときに、ネイルのスクールに通い出しました。スクールは秋田市にあって、休みの日に学校に行くって感じです。起業については、この時は全然全然。ネイリストになりたいと思い、起業もいずれはって思っていたけど、技術が伴っていなくて。けど子どもが生まれて、保育園に入れようかと考えたタイミングで、やっぱりネイルしたいなと思って。
保育園は働いていないと入れないけど、この頃まだ開業届は出すか出さないかという時期で、でもどこかに預けないと私も動けなかったから、一時預かりも使いながら動き出しました。本入園に向けて、教育委員会に納得してもらえるような文章を書いて届けた記憶があります。前例がなくて、多分教育委員会の方も悩んだというか、うーんみたいな感じだったと思うんですけど(笑)。最終的に「がんばって」って言ってもらえたので、がんばんなきゃってそこで。お客さんは最初のうち、月に2~3人とかでした。メニュー表やショップカード作ったり、サンプルのネイルチップを作ったり、家で1人で仕事している時間の方が長くて、家にいる時間が本当に長かったですね、最初。
正式な開業前の一コマ。時にはお客さんの理解を得て、子どもをおぶって施術した。(写真=ご本人提供)
本格的な起業へ
ここから開業届を出して本格的にやりましたね。この家を建てるときは、ネイル用の部屋を作りました。前の家は店舗用に作られていない普通のおうちの一室を使ってやっていたから、ふすま一枚挟んで夜勤明けで休んでいるパパ(旦那)のいびきやユーチューブの音も聞こえるし(笑)。エアコンもなくて暑くて暑くて、とりあえずお客さんが優先だからお客さんに扇風機をあてて、私は汗だくで。こんなに具合悪くなりそうなネイルサロンないなと思いながら、とりあえずやってましたね。今はエアコンも付いて快適です。
起業してから今5年目に入り、今年の夏で6年目です。サロンには町外の方も来てくれています。本当おかげさまで、遠いところで大館とか三種町から来てくれています。三種町の方は、秋田市に行ったほうが絶対近いと思うんですけど。ほとんどインスタでしかPRはしてないんですけど、あとは紹介の方が多くて。一緒に来てくださったりとか。本当にありがたいです。
自宅に併設したサロン前にて。
この記事は「聞き書き」の手法を使って取材・執筆しています。「聞き書き」とは、取材をし、文章を書き、まとめていく際の1つの手法。取材を受けてくださる方を訪ね、その人の人生や知恵・技術について話を聞き、話し手の話した言葉のまま、文章を作成し、編集・整理して読み物にしていきます。詳しくはこちらをご覧ください。