INTERVIEW 06

  • 泣いたあとには、
    必ず笑うことがある。

    2016-03-21

    • INTERVIEW 06

    毎日、父のいる病院へ。

    ここ端家で生まれました。6人兄妹だけど3人は亡くなって、3人姉妹の長女だ。私の人生だば、いろいろだあ。複雑だったし、漫画みたいなもんだな。父親は、小学校入る前に戦争に行って、それで1年生の時に戻ってくると、結核になって入院して、4年生んときから11年間介護したんだ。当時は藤琴に柴田病院ってあって、毎朝そこから学校に通ったの。母親は畑仕事が忙しいから、看病は私の役目。小さな病室の隅に置いといた小さな鍋と七輪でご飯を炊いてあげて、魚を買っては煮たり焼いたりして食べさせて。学校で勉強できたのは、午前中だけ。午後はまた食料を背負って、病院に行くから。家から病院までは1時間半、子供の足だと、それは遠かったよ。お盆も正月もなく、毎日通うの。みんなきれいな服を着て出かけるのを、病院から見て泣いたこともあったね。でも、父親と話すのがうれしかったから。山のこと、川のこと、いろいろ教えてもらったんだ。そういうことは、今も実践している。

    辛かった家での時間。

    その頃、家を仕切っていたのは、祖父の後妻。厳しい人で、少ししかご飯を食べさせてくれなかった。だから、いつもお腹が空いて、雑草をよく食べていた。あぜ道のスカンコは、新聞紙に包んでいった塩をかけてね。そうして、お腹を満たしていて。

    私に赤ちゃんができてからも、あまり食べさせてくれなかった。魚の切り身も、一切れを3等分した量だけ。あとは、漬物とか梅干し。母乳を出すにも栄養が足りない。2番目の子の時なんか、3か月したら、いくら搾っても出なくなって。だから、お米の汁にちょこっとサッカリン(砂糖の代用)入れて、指で舐めさせたり。食べたいけど、食べられない。食べさせたいけど、食べさせられない。食べ物の苦しみって忘れられないな。 自分たち親子のお金は、お正月にまとめて500円もらったの。1年間で500円だから、子どもに新しい服を着せてあげたいときは、何十円かで布を買って作っていたけれど、自分で自由になるお金が欲しくて、25歳から商いを始めたんだ。

    自ら暮らしをつくりだす。



    最初は、自分で作ったキャベツを背負って、二ツ井の町の家を一軒一軒回ったよ。「ごめんください、今日は野菜どうですか」って。「間に合ってます」って言われると辛かったぁ。いつまでも、声をかけるのは慣れなくて。そういうことを2年して、27歳のときに今度は「市日」に出るようになった。

    今は春から秋は、露地やハウスの花や野菜。夏のトウモロコシは市場に持ってってもすぐ売れるよ。注文でも100本は行ったかな。朝採るのと夜採るのでも全然違う。あの人の野菜は間違いないって言われると嬉しいし、一生研究しないとなと思う。他のこだわりって言えば、植えるときは農薬使うけど(根切り虫や蝶々対策)、大きくなってからは使わない。虫はついてるけど、薬使わない証拠ですからって言うと、「虫も食べるなら安心だね」って買ってくれるお客さん増えてきた。昔はきれいなものがやっぱり売れた。でも自分も食べるものだから、安心なものをって。

    秋冬はキノコ、山菜加工したものや、わらびやさくの塩漬け。キノコや山菜は、山で採るんだよ。山には父とも入ったし、旦那さんともよく行った。ひとりでも。昔から山は大好きだ。山に行くと、辛くあたる後妻もいないし、誰にも気兼ねしないでのんびりできるでしょ。鳥の鳴き声を聞くと、家なんていらないって思うよ。仙人みたいに山で暮らしたいね(笑)。自然の清らかさ、動植物が活き活きしているところがやっぱりいいんだ。帰りが遅くなって、松明焚いて山を下りることもあったよ。シギの皮を乾燥させたのを束にして、ゆわえて、中は叩いてやわらかくして、火をつきやすくして、しょってく。このくらいので、2時間くらいもつとかって。昔の人の知恵だね。マッチとライター、それと塩があれば、山では生きられる。

    商い始めて、子供に食べたいもの食べさせられて良かったなと思ったね。お客さん喜んでくれれば最高だし、今では私とお喋りするために待っててくれるお客さんもいるよ(笑)。

    家族に伝えていくこと。

    曾祖母には、「泣いたあとには、必ず笑うことがある」って言われてたけど、今考えてみるとや、たしかに一生、泣いて暮らすことはしなくていいんだなって思う。辛かったことも何も、全部いい勉強だった。今まで学んだことを、今は子どもや孫に教えています。「金儲けのために働くでなく、命を繋ぐ術を身につけなさい」って。「一生懸命、真面目にやっていれば食べていける」「お金がなくても、山で採ってきたもの売ればお金になる」「自分で生きる術があれば、なんにもいらない」、そういうことを教えてる。
    こう伝えていくのが、家族というものなんじゃないかな。(聞き手・井口)

    Interview / 小山ミチさん

    昭和12年、端家生まれ。農家、山の名人。25歳で市日に初出店して以来、
    自身で育てた野菜や、山菜、キノコ、加工品の販売を続けている。お客さんの声を聞きながら、求められる味や育て方を探求している。
※聞き書きとは、「一人の話し手」に「一人の聞き手」が質問し、答えたものを相手の話し言葉(一人称)で表す方法です。