INTERVIEW 03

  • 藤里の昔ながらの味を支える。

    2016-02-29

    長場内で生まれ、長瀞に嫁ぐ

    長瀞(ながどろ)に住んでいます桂田成子です。生まれは昭和23年、同じ町内だけど、もうみんな引越していません。長場内(おさばない)から長瀞に嫁いだんですよ。結婚したのは若かりし頃、昭和44年だ。ずっと藤里町だけど、若いころ、ちょっと町を出たことがある。高校出て、2年くらい就職してきた。埼玉県川口市だけども。戻ってきたのは、うちの父親が田んぼ増やすからって。あの頃、増反であったもの。したってそのうちに嫁になってしまった。ほら、今度また減反始まってきたから。ほんとに農家の人がたは振り回されてると思うよ。

    みそ加工グループで働く

    味噌に携わったのは、平成18年の秋。家にいたから、ここで働かないかぁって誘われて、それに来たんです。それまでは父さんの手伝いもやりながら、自営っていうか、別の仕事やってて、今度、舅、姑の介護さ突入して、田んぼもやりながら自宅介護やってた。ここに来たばかりの時はそれこそ一年生だから、ぜんぜんわからなくて憶えるのに精いっぱい。仕事の工程が毎日違うから。

    手づくり味噌の工程

    味噌づくりの工程は、1日目は米を研ぐの。2日目は麹をつくって寝かせる日。3日目は麹の手入れ。4日目は麹菌ができあがるから、豆を煮て、麹と合わせて、塩混ぜて、これで味噌の原材料っていうか、仕込む前の味噌ができあがるんです。月曜日から順番にやって、水曜日にはまた米を研ぐとこから始めます。作業するのは、3月後半から6月と、11月から12月。秋に頼みにくるのは、秋に穫れた米、豆を持ってくる人。春は暖かくなったから、できた味噌を蔵とかに運びやすいようにって。やっぱりその家庭によってつくる時期があるんだよね。冬寝かしておいて夏になって沸いて(発酵して)きて、そして1年経って秋から食べるっていう人とか。つくる人が持ってくるのは、材料の米、豆なんですよ。私がた、その材料合わせて混ぜてやるだけのことです。味は、あとはそこの家庭さいって、置き場所にもよるでしょうし。でも、やっぱりいっぱいで仕込んだ味噌は違うな。おいしい。

    先輩は頭にピーンと入ってる

    産直に売ってるのもここの味噌。販売は淡路恵子さんがやってくれてる。私がたは作るだけ。みそ加工グループの初めのいきさつははっきりわからねんだけど、減塩味噌づくりから始まったみたいです。淡路さんならわかるよ。みそ加工グループの代表になったのは、前の人が歳とって辞めたから。味噌つくるとき気を付けてるのは、機械いじるから怪我しないようにすることと、なるべく毎日同じような温度に持ってくこと。その時のあれで、冷えたのやったり熱いのやったりしないように、平均して同じ温度になるようにしている。まず先輩方がそうしてるってのを見て憶えてきてるから。今の人がたはレシピ見るじゃないですか。私がたもレシピだから頭に入っていなくて、すぐ材料でも何でも見るけども、その上にいた人がたはもうは、頭の中にピーンと入ってるから。ついていけなかったよ、最初。

    子どものときの味噌

    私がた子どものときは味噌つくったんだけど、集落で大きな釜使って豆煮たのは子ども心にわかるんですよ。集落で一定のとこさ、土で作ったような釜があって、それで集落の人がたがみんなで今日は誰それ明日は誰それって豆を煮て、その豆を自分のうちに持っていって、味噌玉をつくるの。豆を煮ると豆を潰して、「だま」って言って乾燥させるんですよ。私のお母さんの味噌は3年味噌だべ。味噌の樽に入れてから、3年も食べないの。3年寝かせて、だから3年味噌。1年だと白いじゃないですか、今の人がたは白い味噌食べたいっていうの。1年、2年、3年経てば、赤くなってく。味も変わるの。あと、置く場所によっても、陽が入ったりすれば赤くなる。

    今は作業所って、別々の家に離れてあるけども、昔の農家は家畜も一緒に暮らしてたのよ。牛とか馬とか羊とか、そういうの馬屋っていうんだけど。馬小屋みたいな感じで、昔でいうと「曲がり屋」、こっちはそんなに曲がり屋ってないんだけど、そんな感じで家畜も一緒に暮らしてたから。

    小さい頃は牛、馬、羊も、ヤギもいたな。羊は、その毛を刈って、糸を作ってもらって、それで母に編んでもらったセーターを着てたっていう記憶がある。春になると毛、刈るんですよ。そういうのを覚えている。



    まろやかな、ここの味噌の味

    最初、ここで働く前に、ここで味噌つくってもらっていたんですよ。よそでもつくってもらったけども、しょっぱかったりなんだりしたから、ここおいしいよって喋られて、ここでつくって、あぁおいしいって。ここで働いて、醤油より、味噌使うようになった。馬肉煮るのも、味噌になってきたり、ミズ炒めるのも味噌味にしてみたり。味噌おいしいってやっぱり。醤油よりは味噌入れればまろやかになるっていうそういう感じだよな。酢味噌和えとかなぁ。わかめとか酢の物って、醤油と酢で和えるじゃないですか、でもそれを、味噌と酢とか。わらびも味噌と酢かける。今の人、マヨネーズと醤油だもんなぁ。

    つくった味噌食べてぇって

    ここで働き始めて10年ならないけど、実際は少ないんだよ。春と秋だけだから。私最初来た次の年は7月の中頃までびっちりあったな。2月もやったし。だけども今は少なくなってきた。おばあちゃんがたはつくったやつ食べてぇたばってって言うけども、今はつくる人が少なくなったの。若い子はあんまり。常連さんがたは申込書でなくて、電話で注文きたり、材料だけ持ってきたり。もう長年やってれば、いつものようにつくって~って置いてくの。いつまで続くかな。注文がどの程度まであるかないか、お客さん次第だな。元気なうちは頑張りたいな。(聞き手・藤原)

    Interview / 桂田成子さん

    昭和23年、長場内生まれ。埼玉県で工場勤務を経て、昭和44年長瀞に嫁ぐ。
    平成18年よりみそ加工グループで働き、現在代表を務める。
  • 泣いたあとには、
    必ず笑うことがある。

    ここ端家で生まれました。6人兄妹だけど3人は亡くなって、3人姉妹の長女だ。私の人生だば、いろいろだあ。複雑だったし、漫画みたいなもんだな。父親は、小学校入る前に戦争に行って、それで1年生の時に戻ってくると、結核になって入院して、4年生んときから...

    Interview / 小山ミチさん

    昭和12 年、端家生まれ。農家、山の名人。25 歳で市日に初出店して以来、自身で育てた野菜や、山菜、キノコ、加工品の販売を続けている。お客さんの声を聞きながら、求められる味や育て方を探求している。
  • なぁなぁでは、できない。

    生年月日は、昭和34年1月31日。戸籍は、な。実際は違うみたい。昔はずっと奥、横倉に住んであったの。その頃はバスもなかったし、町中に出て来るってみんな歩いてあった。だから産まれてすぐ届けなくて、10日くらい遅れているみたい。「いつ産まれました?」と聞かれて「1月の末だ」って、「じゃ31日ですか」って...

    Interview / 市川和安さん

    昭和34 年横倉生まれ。『和サービスプラン』代表として斎場維持管理、町営墓地公園清掃、町営不燃物廃棄処理場管理、環境監視業務に携わる。産直あさひ会の副会長。
  • 川に来た人と話しするの、
    すごい生きがいだ。

    生まれはここ一の渡、5人兄弟の長男。坊中小学校に通って、昭和29年に藤里中学校を卒業しました。子供の頃の思い出といえば、まずは小学校の小使い(用務員)がガラガラとならす始業のベルだな。小さい兄弟連れてって、自分の隣で子守しながら授業受けたことも思い出す。

    Interview / 市川市治さん

    昭和14年一の渡生まれ。営林署勤務の後、粕毛漁業協同組合に参加、現在理事。交通安全協会にも長らく携わり、施設部長を務める。
    趣味はカメラ。箱型カメラ以降10台以上を保有。
  • 藤里の昔ながらの味を支える。

    長瀞(ながどろ)に住んでいます桂田成子です。生まれは昭和23年、同じ町内だけど、もうみんな引越していません。長場内(おさばない)から長瀞に嫁いだんですよ。結婚したのは若かりし頃、昭和44年だ。ずっと藤里町だけど、若いころ、ちょっと町を出たことがある。高校出て、2年くらい就職してきた。

    Interview / 桂田成子さん

    昭和23年、長場内生まれ。埼玉県で工場勤務を経て、昭和44年長瀞に嫁ぐ。
    平成18年よりみそ加工グループで働き、現在代表を務める。
  • 四十年住めば、自分も
    藤里の人って気持ちだ。

    あっという間でしたね。今なんか、藤里来てから勤めてた整備工場退職したし、ゆっくりしたなって感じだな。今は東京なんか行くと、空気が嫌だって思うね。この新鮮な空気吸ってると、いいなって思うな。移住したい人、もっと増えてもいいんじゃないかと思う。

    Interview / 山田弘一さん

    新潟県上越市高田出身、茨城県石岡市育ち。東京で車の整備士をし、結婚を機に移住。現在パートでふじみやドライバー& NPO ふじさと元気塾理事など地域活動に参加中。愛称ヤマコウ。
  • お客さんさ向かってる姿って
    素敵だよ。

    昭和27年6月21日、藤里町の藤琴で生まれました。床屋は私で三代目で、百年はなってるんでねぇか。俺で三代床屋で携わっているお客さんいっぱいいるよ。孫爺さん、親父、俺って、三代にやってもらったってお客さん。藤里中学校卒業後、秋田の床屋の専門学校...

    Interview / 菊地信雄さん

    藤里中学校卒業後、敬愛理容専門学校で学び、秋田の中央病院理髪部で修業。船上、東京で勤務の後、祖父、父から三代続く菊地理容所を経営。
※聞き書きとは、「一人の話し手」に「一人の聞き手」が質問し、答えたものを相手の話し言葉(一人称)で表す方法です。