HEART

ふじさとを「想う」

藤里に生きる方々の聞き書きです。 人の営みが町をつくっています。誰しもが熱い想いを持って、ここに生きています。 そんな想いを「聞き書き」でご紹介します。 藤里町にはこんな方々が住んでいます。

  • 白土ワールドへようこそ!

    産まれは東京、四人姉妹の次女です。父は社長をしていて、不自由のない暮らしだった。でもお妾さんに子供ができて、母は我慢できなくて1番上と下の娘2人を連れて、出身地の岩手に戻ったの。私は7歳で、東京で継母とも折り合いが悪くて、人間不信になって、人前で声が出せなくなった。すっかり不安定な子供になってしまって...

    Interview / 白土延子さん

    昭和26年、東京都生まれ。人材派遣会社を経て『ホテルゆとりあ藤里』支配人。
  • おもしろいなって思ったら、
    始めるんだ。

    ずっと大沢に住んでる。神社の奥が、うちのリンドウ畑だ。家がもともと農家だったので、農業やろうと思ったときに、県からのプッシュで藤里町もリンドウやらないかっていう話があったの。最初に鳥海町を視察したときに、向こうの農家の奥さんたちがものすごくイキイキと話してくれた。

    Interview / 菊地昇一さん

    昭和35年、大沢生まれ。建設会社に勤務し、農家を継ぐ。平成21年よりリンドウを栽培。
  • 高山クラブの会長、
    もうひと頑張りだな。

    7人兄妹の2番目、長女として、旧・峰浜村の水沢で産まれました。子どもの頃は、浜に遊びに行くこともあったよ。母親が健康でなかったから、私が一番上の女の子だすべ、妹がた学校行ってるし、学校終わって兄弟の面倒みて、って生活してた。

    Interview / 石田圭子さん

    昭和9年、旧峰浜村水沢生まれ。昭和32年に藤里町に嫁ぐ。高山クラブ会長を務め10年になる。
  • 柔らかくて美味しいなって、
    つかむだけでわかるよ。

    下萱沢は、まぁ人情味のある、すごく良い部落だな。私は中学終わった翌年に、親父を亡くしたもんだから、母と、私と、姉と妹。女性ばっかりで、まず男はたった一人であったんで、一家の柱になったんだ。その時は部落のみんなに世話なった。百姓であったからな。

    Interview / 佐々木勇さん

    昭和16年、粕毛字下萱沢生まれ。米田小学校、藤里中学校を卒業後、百姓兼大工を経て山菜加工組合の代表になる。
  • 牛もカラオケも、おもしぇよ。

    私は昭和14年、寺屋敷の「たごえもんの家」で佐藤家の五人兄弟の三男坊として生まれました。中学校終わって、働きながら青年会やったりしていたんだけど、池田隼人が、長男は家にいて仕事せど、次男・三男は東京にいで仕事せど、と言うのニュースで聞いて、これは田舎で百姓するのはダメだと東京に行った。

    Interview / 佐藤正さん

    昭和14年、寺屋敷生まれ。JAに勤務の傍ら、最初は褐毛和種、後に黒毛和牛の肥育・繁殖を行い、表彰経験も多い。趣味はカラオケ。
  • さんぱつおなご って言われる。

    当時はまだ藤琴村だったの。私が昭和38年に嫁いだ時には、「藤琴村」って住所で祝儀のハガキを出してね、結婚して籍に入ったのは「藤里町」でした。2013年、町制50周年だったでしょう。あの年に私達がちょうど金婚50周年であって、藤琴と粕毛をつなぐ橋ができたのも昭和38年だったと思います。

    Interview / 桐越トミさん

    昭和18年、藤琴地区山根生まれ。「和みの会」のほか、ボランティア「すみれの会」会長など。
  • 泣いたあとには、
    必ず笑うことがある。

    ここ端家で生まれました。6人兄妹だけど3人は亡くなって、3人姉妹の長女だ。私の人生だば、いろいろだあ。複雑だったし、漫画みたいなもんだな。父親は、小学校入る前に戦争に行って、それで1年生の時に戻ってくると、結核になって入院して、4年生んときから...

    Interview / 小山ミチさん

    昭和12 年、端家生まれ。農家、山の名人。25 歳で市日に初出店して以来、自身で育てた野菜や、山菜、キノコ、加工品の販売を続けている。お客さんの声を聞きながら、求められる味や育て方を探求している。
  • なぁなぁでは、できない。

    生年月日は、昭和34年1月31日。戸籍は、な。実際は違うみたい。昔はずっと奥、横倉に住んであったの。その頃はバスもなかったし、町中に出て来るってみんな歩いてあった。だから産まれてすぐ届けなくて、10日くらい遅れているみたい。「いつ産まれました?」と聞かれて「1月の末だ」って、「じゃ31日ですか」って...

    Interview / 市川和安さん

    昭和34 年横倉生まれ。『和サービスプラン』代表として斎場維持管理、町営墓地公園清掃、町営不燃物廃棄処理場管理、環境監視業務に携わる。産直あさひ会の副会長。
  • 川に来た人と話しするの、
    すごい生きがいだ。

    生まれはここ一の渡、5人兄弟の長男。坊中小学校に通って、昭和29年に藤里中学校を卒業しました。子供の頃の思い出といえば、まずは小学校の小使い(用務員)がガラガラとならす始業のベルだな。小さい兄弟連れてって、自分の隣で子守しながら授業受けたことも思い出す。

    Interview / 市川市治さん

    昭和14年一の渡生まれ。営林署勤務の後、粕毛漁業協同組合に参加、現在理事。交通安全協会にも長らく携わり、施設部長を務める。
    趣味はカメラ。箱型カメラ以降10台以上を保有。
  • 藤里の昔ながらの味を支える。

    長瀞(ながどろ)に住んでいます桂田成子です。生まれは昭和23年、同じ町内だけど、もうみんな引越していません。長場内(おさばない)から長瀞に嫁いだんですよ。結婚したのは若かりし頃、昭和44年だ。ずっと藤里町だけど、若いころ、ちょっと町を出たことがある。高校出て、2年くらい就職してきた。

    Interview / 桂田成子さん

    昭和23年、長場内生まれ。埼玉県で工場勤務を経て、昭和44年長瀞に嫁ぐ。
    平成18年よりみそ加工グループで働き、現在代表を務める。
  • 四十年住めば、自分も
    藤里の人って気持ちだ。

    あっという間でしたね。今なんか、藤里来てから勤めてた整備工場退職したし、ゆっくりしたなって感じだな。今は東京なんか行くと、空気が嫌だって思うね。この新鮮な空気吸ってると、いいなって思うな。移住したい人、もっと増えてもいいんじゃないかと思う。

    Interview / 山田弘一さん

    新潟県上越市高田出身、茨城県石岡市育ち。東京で車の整備士をし、結婚を機に移住。現在パートでふじみやドライバー& NPO ふじさと元気塾理事など地域活動に参加中。愛称ヤマコウ。
  • お客さんさ向かってる姿って
    素敵だよ。

    昭和27年6月21日、藤里町の藤琴で生まれました。床屋は私で三代目で、百年はなってるんでねぇか。俺で三代床屋で携わっているお客さんいっぱいいるよ。孫爺さん、親父、俺って、三代にやってもらったってお客さん。藤里中学校卒業後、秋田の床屋の専門学校...

    Interview / 菊地信雄さん

    藤里中学校卒業後、敬愛理容専門学校で学び、秋田の中央病院理髪部で修業。船上、東京で勤務の後、祖父、父から三代続く菊地理容所を経営。
※聞き書きとは、「一人の話し手」に「一人の聞き手」が質問し、答えたものを相手の話し言葉(一人称)で表す方法です。

TOJIKOJI MAGAZINE

「とじこじ」は藤里の暮らしをゆっくりじっくり楽しむ情報誌

毎月1回、地域おこし協力隊の取材、制作により発行される「藤里の暮らしをゆっくりじっくり楽しむ情報誌」です。
藤里の暮らしを見つめ、旬の情報やイベントの様子を掲載しています。
裏面では藤里の人々に藤里で暮らす想いをインタビューしています。
※とじこじとは、藤里方言で「ゆっくり自分のペース」でという意

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